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zoom RSS 「かわいい」の超歴史主義

<<   作成日時 : 2008/12/05 01:01   >>

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『「かわいい」論』は3年くらい前に出版された新書です。買うだけ買って読まずにいたのですが、ふと気になってざっと目を通してみました。
「かわいい」論
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ちくま新書 著者:四方田犬彦出版社:筑摩書房サイズ:新書ページ数:206p発行年月:2006年01月


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「かわいい」という言葉の使われ方や、それが具体的に現れた現象の分析を通じて、「かわいい」が、未成熟・未完成・不完全であることをそのまま肯定しうる概念であるとしています。

そう言えば、この本が出た直後に、この本の主張を超歴史主義だと批判していた論客がいたような気がします。
もうよくは覚えていないのですが、少なくとも、「かわいい」を現代日本に特有の歴史的事象としてではなく、より広い概念として捉えようとしている筆者に対して、つまり、歴史的制約を超えたところにある「かわいい」の概念を対象としている人に対して、超歴史主義だと批判するのは、トートロジー以外の何ものでもなく、批判の内容は論理的であっても、批判することに意義はありません。

この『「かわいい」論』の最大の問題点は、そのようなところにはありません。
詳細に検討したわけではなく、ざっと読んでの感想でしかありませんが、この本が抱え込んでいる最大の問題は、「かわいい」の指し示す範囲の確定でしょう。

言い換えるならば、この本で分析の対象とされている様々な「かわいい」現象が、果たして、何らかの共通点のある一つの概念の多様な現れであるのか、それとも、たまたま「かわいい」という言葉しかないので、ひっくるめてその語で指し示されているだけの雑多な現象なのかということが問われていないのです。

ピカチューを子どもが「かわいい」というのと、キティーちゃんを女子高生が「かわいい」というのと、アニメキャラをアキバボーイが「かわいい」というのと、果たしてこれらはすべて同じ「かわいい」なのか。
それとも、「かわいい」という語しか、それらの事態を指し示しうる語をもたないので、偶発的に一つの「かわいい」という範疇に収まっているだけなのではないのか。

決して、「かわいい」というイデアがあって、その様々な現れを指示するために「かわいい」という語が存在しているわけではなく、「かわいい」という語があって、その語の使用が「かわいい」という意味範疇を形作っているのです。

そこまで考えると、分析の対象をどこまで広げ、どこで打ち切るのかという問題は、決して「かわいい」だけではなく、あらゆる文化論に突きつけられている方法論上の難題なのです。
もちろん、新書の分量でそこまで突き詰めるのは不可能ですが。

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